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圓照寺について

圓照寺について

仁寿3年(西暦853)、文徳天皇の勅願により慈覚大師円仁が創建したと伝えられます。大師勤刻の千手観音を本尊とし、奥之院には准胝観音、十一面観音を奉祀して「山田の観音さま」として親しまれています。他にも阿弥陀如来や地蔵菩薩、不動明王など数多くの仏さまをお祀りしています。和歌山県の高野山金剛峯寺を本山とする高野山真言宗の寺院ですが、摂津国33所観音霊場28番、摂津国88所大師霊場43番の各札所となっており、家の宗旨宗派にとらわれず、どなた様のご参詣もお待ちしております。

ごあいさつ

圓照寺のホームページを御覧いただき、ありがとうございます。当山は1150年以上も昔に千里山田の地に創建され、観音さまをはじめとする諸仏諸菩薩を護持し、地元の方々に親しまれてきました。圓照寺の寺名は、観音さまの智慧の光が皆さまを「まどかにてらす」ことに由来しています。観音さまは、すべてに対して優しく穏やか。そんな観音さまのおはたらきを感じていただける場となれるよう、今後も精進してまいります。皆さまのご参詣を心よりお待ち申し上げております。

合掌  住職 福岡定弘

圓照寺の観音さま

圓照寺には三体の観音さまが信仰の中心におられ、千里山田の観音霊場としてありつづけています。
ご本尊の千手観音(秘仏)は、開山の慈覚大師自らが謹刻されたと伝わる等身大の立像です。一般的な千手観音像は42本の手を持つ像形が多いのですが、当山のご本尊はその名のとおり1000本の手を持っておられ、現在・未来だけでなく過去にさかのぼってご利益を施す「三世利益の観音さま」として信仰されています。1000本の手でもって、家内安全や厄除け、商売繁盛などよろずの願いをかなえる観音さまです。
奥之院のご本尊、准胝(じゅんてい)観音は、一面八臂(八本の腕)の立像です。「すべての仏の母」とされ「准胝仏母(ぶつも)」とも称されます。このことから子授け・安産の観音さまとして信仰が厚く、地元山田では「子どもを圓照寺の観音さまから授かった」という言い伝えが数多くございます。大阪府の有形文化財に指定されており、年二回の御開帳の際は多くの方が参詣されます。
同じく奥之院にお祀りしている十一面観音は、右足を上げ片足で立っておられる珍しいお姿です。これは少しでも早く足を踏み出し私たちのもとへ駆けつけようという、観音さまの固い慈悲の表れとされ、地元では「片足の観音さま」と称されています。文徳天皇の御持念仏(自身のそばでお祀りする仏像)が奉納されたと伝えられ、厄除け・勝運のご利益を施すといわれています。

境内のご案内
  • 本堂
    ご本尊の千手観音、脇士の日光月光両菩薩、薬師如来や不動明王などをお祀りしています。年中行事はすべて本堂に於いて執り行われ、各個人のご祈祷、ご供養も行います。
  • 奥之院准胝堂
    准胝観音、十一面観音(奉称片足観音)などをお祀りしています。創建時は現在の千里北公園付近にあったと伝えられています。
  • 地蔵塚
    准胝堂の裏手に、かつては山田の各地にあった石のお地蔵さまが集められました。
  • 鐘楼
    現在も朝昼夕の一日三度、時を告げる鐘を撞いています。創建時の鐘は太平洋戦争の際に供出され、昭和30年に再鋳されました。
  • 日露戦役紀念碑
    地元山田から日露戦争へ出征された方々の慰霊碑です。両側面にそのお名前が刻まれています。
  • 観音像
    ご供養された卒塔婆をこちらの宝前に手向けます。
  • 弁天堂
    弁財天を境内の鎮守様としてお祀りしています。
  • ヤマザクラ
    樹齢は推定150年以上とされ、吹田市保護樹木に指定されています。地元では、この桜の咲くころが田植え開始の目安とされてきました。
  • ナンテン
    「難を転ずる」という云われから、境内にたくさん植えられています。秋から冬にかけて色づきます。
圓照寺の特色

大阪府文化財に指定されている准胝観音像、日光月光両菩薩像をはじめ、数多くの仏像をお祀りしています。
また、年中行事も連綿と続けられ、仏像以外にも涅槃図など多くの宝物、什物を所蔵しています。

豊富な仏像
  • 十一面観音像・奉称片足観音像
    十一面観音像・奉称片足観音像
  • 日光菩薩像
    日光菩薩像
  • 月光菩薩像
    月光菩薩像
  • 阿弥陀如来像(奥之院)
    阿弥陀如来像(奥之院)
  • 阿弥陀如来像(本堂)
    阿弥陀如来像(本堂)
  • 定印阿弥陀如来像(奥之院)
    定印阿弥陀如来像(奥之院)
  • 毘沙門天像
    毘沙門天像
  • 不動明王像
    不動明王像
豊富な歴史的什物
  • 本堂内陣
    本堂内陣
  • 本堂御厨子
    本堂御厨子
  • 准胝堂内陣
    准胝堂内陣
  • 大念珠
    大念珠
  • 涅槃図
    涅槃図
豊富な行事

年末12月31日 23:30以降 参拝された方全員除夜の鐘を撞いていただけます。
その他縁日や風習、季節に応じた行事を開催しております。

圓照寺の物語

創建以来、地元山田を中心に観音信仰を集めてきました。ご本尊の千手観音は、過去・現在・未来の三世にわたりご利益を施すと伝えられ、よろずの願いを叶える観音さまとして信仰されています。奥之院准胝観音は子授け安産の観音さまとして知られ、特に地元山田では「圓照寺の観音さまに子どもを授けてもらった」という言い伝えがたくさんございます。ただ、授かった子どもはみな女の子だそうです。現在でも朝昼夕に時を告げる鐘が撞かれ、地元に親しまれています。また、山田に伝わる「権六おどり」発祥の地とされ、以前は境内で夏の盆踊り大会が開催されて、地元の方々の交流の場となってきました。

年 表
仁寿三年(西暦853年)

文徳天皇の勅願により慈覚大師円仁が創建。大師自ら勤刻した千手観音を本尊とする。

貞観十二年(西暦870年)

清和天皇が行幸され、多くの荘園を寄進。本尊に勅封をかけ秘仏とする。

元慶六年(西暦883年)

陽成天皇の病が重篤となった際、勅使を遣わされ本尊をご開帳し祈念されるとたちまちに平癒される。その後行幸された際、日光月光両菩薩像を下賜される。

寛平六年(西暦895年)

宇多天皇の勅宣を受けて理源大師聖宝が入寺し、皇后の心の病の平癒を三七日間(三週間)にわたりご祈祷する。これ以降、真言の道場となる。平安末期以降鎌倉、南北朝時代を経て、室町時代には七堂伽藍が整えられ11の僧坊を構えて、隆盛を極める。

応仁年間(西暦1467年頃)

応仁の乱の煽りで細川家の家臣香西玄蕃が寺領を横奪し、諸堂は兵火にかかり、僧侶は離散し無住の寺となる。

万治年間(西暦1630年頃)

中興の祖・覚祐が地元の領主板倉氏と篤信者の援助の下、現在の地に本堂などを再建し、仏像の修復を行う。

明治年間(西暦1868年頃)

廃仏毀釈の影響で諸堂が破却される。

大正九年(西暦1916年)

失火により当時の本堂が焼失、本尊も損傷する。

昭和四十五年(西暦1970年)

現在の本堂が再建される。

平成八年(西暦1996年)

現在の准胝堂及び鐘楼が再建される。

交通

交通

〒5650821
大阪府吹田市山田東3丁目1427
電話 0668760461

[最寄駅]
阪急千里線「山田」駅下車
バスでJR岸辺もしくはJR茨木行きに乗車し
「山田宮の前」停留所下車 北へ約500m

またはJR京都線「岸辺」駅下車
「岸辺北口」停留所からバスで阪急山田 もしくは
千里中央行きに乗車し「山田宮の前」停留所下車
北へ約500m